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フラの歴史【4】フラの抑圧と復興

<平成30年10月『 いわき市シティセールス基本方針』より抜粋>

■フラの抑圧と復興

フラはハワイの文化遺産(イメージ)

 1778年のイギリス人船長ジェームズ・クックの来航に始まり、西洋人が渡来すると、ハワイ古来の文化は抑圧されるようになります。1820年に宣教師が渡ってくると、キリスト教的な価値観のもとで、フラは「みだらな踊り」として排除の危機にさらされます。崩壊していった固有文化が数多くある中、フラは消滅せず、さまざまな異文化の要素を取り入れながら生き残ってきました。

 1870年代、カラカウア王によってフラの伝統が一時復活。1920年代以降は、フラが観光化されていく中で、詩と打楽器に合わせて演じる旧来のフラ「フラ・カヒコ(hula kahiko)」の伝統を保ちながら、ウクレレやギターなど音階のある楽器で奏でられる西洋的なメロディに合わせて演じる新しいフラ「フラ・アウアナ(hula auana)」が創り出されました。

 現在、私たちが目にするフラは、踊る人も見る人も心が癒される大衆芸能であると同時に、ハワイの重要な文化遺産です。神話や歴史を語る神聖なものであるという理解と畏敬の念は、フラに関わるすべての人々に必要ではないかと思います。

 そして、長い歴史の中で抑圧されながらも、フラの伝統が、現在に至るまで脈々と受け継がれてきた背景には、クム・フラたちの献身的な努力があります。フラが歩んできた、決して平坦ではない道のりが、フラには、他文化と結合・融合することで常に新しい形に創造されていく力が備わっていることを教えてくれます。そのイメージは、フラのステップやハンドモーションのしなやかで力強い様子と重なります。

■同じ太平洋の島の住人として

 はじめに触れたように、ハワイの島々へは、古代の人々が高度な航海技術をもって東南アジア方面から東へ、さらに北へ大移動をした結果だと考えられています。その後の数百年間、島々では相互に交流があり、フラの源となる詩を作る文化も、これらの交流の過程でもたらされたと推測されています。クック諸島の「ウラ・パウ」や「カパリマ」という踊り、フランス領ポリネシアのタヒチの踊り、その他多数の島々の踊りは、フラと同様に詩の内容を体のこまやかな動きで表現し、内容も神々や自然を讃えるなど共通点が多く、「太平洋文化」という大きな枠組みでの捉え方が定着してきています。

 また、古代のルーツをさらに探れば、言語学や考古学の観点、遺伝学の系譜論でも、ポリネシアの人々はアジア方面から移動してきた、モンゴロイド系統の人々であることがわかってきています。同じ太平洋に浮かぶ島の住人である私たち日本人とハワイの人々は、ルーツをも同じくする間柄であり、精神性や文化に共通点が多いことも必然であるように思えます。フラとハワイの歴史を学ぶほどに、私たちの親しみはますます深くなっていきます。

【参考文献】

  • 矢口祐人『ハワイの歴史と文化』(中公新書、2002)
  • 矢口祐人『ハワイとフラの歴史物語』(イカロス出版、2005)
  • Allan Seiden(山口かおり訳)『アート・オブ・フラ(日本語版)』(アップフロントブックス、2005)
  • 後藤明『海を渡ったモンゴロイド』(講談社、2003)
  • 後藤明・松原好次・塩谷亨 編著『ハワイ研究への招待』(関西学院大学出版会、2004)
  • 池澤夏樹『ハワイイ紀行 [完全版]』(新潮文庫、1996)

<こちらもご覧ください>

フラの歴史【1】
フラの歴史【2】
フラの歴史【3】

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