いわきフラレポート
ケアラ オナオナ メ カ レフア福島校 代表 Saya (佐藤さやか) 先生
Q: フラを始めたきっかけは?
フラを始めたきっかけは、妹の結婚式です。
私より先にフラを習っていた妹が自分の結婚式で踊ると聞いて、私は友人に作り方を習ってシダを使ったフレッシュレイをプレゼントしました。
当日、私が作ったレイをかけて踊る、花嫁姿の!私の妹は!すっごくキレイで!私は号泣で……人生で一番泣きました(笑)。
その時に私も習いたい!と、フラを始めて10年になります。
当時住んでいた千葉のケアラ オナオナ メ カ レフア千葉校で習い始めて、東京本校の先生、そして先生方が師事しているハワイ・オアフ島のクム*・カーラ・オキアナ先生に、今も教えていただいています。
まだ、たったの10年。ほんの一歩足を踏み入れた程度だと思っているので、まだまだ勉強です。
足りない知識を、スポンジのようにたくさん吸収していかなければと思っています。
*クム:正式なフラの指導者
Q: ケアラ オナオナ メ カ レフア福島校について教えてください。どんな指導をされていますか?
2015年12月、本校の勧めで、今の教室「ケアラ オナオナ メ カ レフア*福島校」を、いわき市常磐湯本町に開設しました。
3歳から60歳くらいまでの生徒約60名を9つのクラスに分けて、フラとタヒチアンダンスを教えています。
それぞれのレベルに合わせた曲を勉強していますが、少しでも本場のフラに近付けるようルールに忠実に、踊る前にはオリ**を唱えて、どのクラスでも基本練習はしっかり取り組みます。
フラを学ぶ時は、文化や背景も大切に指導しています。
歌詞の理解に必要な古い神話や、作詞・作曲をした人の生い立ちや生活、誰を思って作られたのかとか、そんな話をできる限りするようにしています。英語に訳されたときに隠れてしまったハワイ語の意味も大事にしたいので、ひとつひとつ辞書で調べるときもあります。
それから、去年のキラウエア火山の噴火や、聖地マウナケア山の天体望遠鏡建設反対運動のような、現在のハワイで起きていることも話しますよ。
生徒と一緒に勉強すると、どんどん頭に入るんです!
私たちの教室は、地域のイベントにも積極的に参加するようにしています。
みんなが踊って輝く発表の場としても、群舞やチームワークの勉強の場としても、イベント参加は大事にしています。
できるだけみんなで出て、みんなが主役になってほしいです。
そして、踊りの舞台というのは、ステージ運営をしてくださるスタッフさん、お客さんも、その場にいるみんなで作り上げるものなので、多少の失敗やドタバタがあっても、その瞬間にしか味わえない感覚やコミュニケーションを楽しんで学んでほしいと思っています。
*教室名はハワイ語で「大切な仲間と心地よい時を過ごす」の意味
**オリ:儀式の前などに神々に許しを得るため唱える詩
Q: コロナ禍のレッスン自粛期間は、どう過ごされましたか?
最初の2週間は、教室をどうしようか迷いました。レッスンを休む機会はなかなかないので、家族と過ごす時間にしようかなぁと。
でも、生徒たちには目標があって、7月にはタヒチアンダンスの大会も予定されていたので、オンラインレッスンにチャレンジすることにしました。
4月から5月にかけて、がんばって取り組んでみて良かったです。おもしろかった!
困ったことも色々ありました。
通信環境が良くない生徒や、家族の食事の時間と重なって場所が確保できない生徒もいて、試行錯誤でした。
音声が混じってしまわないよう、生徒たちのマイクはオフにしてもらっていたので、ジェスチャーでコミュニケーションをとっていましたし、私からの一方通行で進めるレッスンは、私が止まると、みんなもマネして止まってしまうので、40分間動き続けないといけなくて!
もう、体力付きましたね(笑)。
オンラインレッスンでは、主に「pola’ila’i(ポーライライ)」という曲に取り組みました。
「po」は、夜・闇という意味です。闇がなかったら月の柔らかい光に気付けないのと同じように、当たり前にそこにあったレッスンも、イベントへの参加もできなくなってしまって、生徒たちもとても寂しかったと思います。
この時期を経験して、みんなで集まって踊れることの幸せを実感できた気がします。
今は我慢の時。いっぱいいっぱい練習して、エネルギーをうんと蓄えて、次にイベントに出るときは思いっきり出しちゃおー!という気持ちを、私も生徒たちも持てていることが、とても良いなぁと感じています。
Q: フラガールズ甲子園を目指す高校生たちを指導されていることについて、聞かせてください。
福島県立湯本高校フラダンス部の外部コーチになって、4年目です。
声がかかった時、フラガールズ甲子園について、それほど良く知っていたわけではなかったので戸惑いましたが、きっと勉強になるだろうと思えたのでお受けしました。
はじめは私1人で教えていたのですが、大会の指導となると責任の重さも感じて東京の本校に相談をしているうち、私の師匠である高林智香子先生にもお手伝いいただくことになりました。
指導で大切にしてきたことは2つです。
1つは、ハートを強くすること。みんなの気持ちをひとつにするため、ミーティングはたくさん行ってきました。
もう1つは、ひとつひとつ丁寧に踊りをそろえること。指1本ずつの細かい動きまでそろうように、何度も何度も練習しました。
こういった土台作りに取り組んだ1年目は、衣装も踊りも自由に取り組みたい上級生に我慢をしてもらうことも多く、ぶつかったこともありました。
そして、競技としての難しさにはたくさん悩みました。
フラを踊ることの意味を考えれば、勝ち負けじゃないということを一番最初にわかってほしい。
でも、それは私が言葉で伝えるものではなく、一人一人が心で感じ取れるようになってほしいと思っています。
結果的に賞が取れなかったとしても、仲間と一緒にがんばった時間や、後悔なくやり切ったことそのものが宝物だと思えるような指導をしていきたいです。
Q: フラによる地域との関わりについて、聞かせてください。
私、湯本が大好きなんです!
出身は双葉郡富岡町なので、いわき市と特に強いつながりはなく、東日本大震災後の家庭の都合で移り住んできましたが、フラによるまちづくりを進めている常磐湯本町の皆さんには本当に良くしていただいて、とてもお世話になっています。
ですから、地元・湯本のイベントは、スケジュールさえ合えば全部出ます!
1回、1回が、私も生徒たちもとにかく良い経験、良い勉強になっています。
地域を盛り上げたいとか、地域の人たちを楽しませたいという思い入れも、やっぱりあります。
私にできる、フラを踊るということで、これからも地域と関わっていきたいと思っています。
【インタビュー:2020年(令和2年)7月】
◆ インタビューの様子を動画でご覧いただけます。