フラシティいわき

いわきフラレポート

IWAKI HULA REPORT
フラシティいわき インタビュー 番外編 

常磐音楽舞踊学院最高顧問 カレイナニ早川 先生

 今回は、番外編。スパリゾートハワイアンズダンシングチームを初代から現在にわたって指導されているカレイナニ早川先生に、常磐ハワイアンセンター誕生当時のことや、初代社長の中村豊さんとの思い出などを伺ったスペシャルインタビューです!

 

<カレイナニ早川 先生 略歴>

(本名)早川和子。カレイナニ(Ka-Lei-nani)は美しいレイ(花輪)の意味。服部・島田バレエ団、ジェン・バローバレエ団を経て、後にポリネシアン舞踊に転じ、ハワイに留学。昭和40年から、常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)付属の常磐音楽舞踊学院の講師を務め、フラチームの養成にあたる。1966年アンティ・ルイス・カレイキより「クム・フラ」の資格を授与される。以降、積極的にフラを世に広める活動に従事。平成26年3月、横浜市より「横浜市男女共同参画貢献表彰功労大賞」を授与される。

【カレイナニ早川『ひまわりのように』(双葉社、2017)より抜粋】

 

 

■早川先生とフラ

 子どものころから踊りが好きだった私は、帝国劇場で初めてバレエを見て感動し、終戦の翌年、中学2年生のときに服部・島田バレエ団でクラシックバレエを習い始めました。

 フラに初めて興味を持ったのは高校生の頃です。たまたま日劇でハワイから来たダンサーの生のフラを観たとき、きれいで幻想的で、フラはこんなにも品の良いものなのかと思いました。

 24歳で初めてハワイに行き、フラを習って以来60有余年、ハワイの文化といわれ、誇りを持っているハワイの民族音楽舞踊を紹介し、後進を育てるために指導を続けています。

 私がこんなにも長くフラを続けてこられた理由は、まず、私がフラをこよなく愛しているからだと思います。そして、観る人も踊る人も癒してくれるフラのすばらしさを一人でも多くの人にお伝えしたいと願っていることがあります。さらに、ここまで私を支えてくださった多くの方々がいらっしゃったからこそ、今日まで踊り続けることができています。

 フラを踊ることは、私にとって感謝と恩返しだと思っています。

 

■早川先生と中村社長の出会い

 中村さんは、佐賀県のご出身で、東京帝国大学(現在の東京大学)を出て常磐炭礦にお勤めになったそうです。

 昭和39年(1964)、常磐炭礦の副社長だった中村さんは、石炭から石油へのエネルギー転換が進む中、常磐炭礦の雇用を守るための新規事業「常磐ハワイアンセンター」の構想を立ち上げて着々と準備を進めていました。

 「施設の運営はすべて自前で」、と考えていた中村さんですが、専門職の料理長と踊りや音楽の指導者だけは、外部から招かざるを得ない。フラの指導者は本場ハワイから、と考えていたようです。

 そのころ私は、2度目のハワイ留学から帰ってきていました。日本でのフラの認知度を高めたいと思っていた矢先、NHKの人気クイズ番組「私の秘密」への出演依頼があり、ハワイで出会って親友となったレフアナニ佐竹さんと出演しました。「日本で初めてフラの名取になりました」と私たちが紹介されたその番組を、遠く福島でご覧になっていたのが、中村さんでした。

 NHKを通じて初めてお会いしたとき「いわきからフラとタヒチアンダンスを発信したい??あこがれのトロピカルパラダイスをつくりたい??このおじさんは、なんてことを考えてるんだろう!?」と思いました。

 初めて連れて来ていただいた建設予定地も、うっそうとした山。人家がちょこっとあるだけで、ニワトリが歩いていたり、豚舎の臭いが漂っていたり、東銀座の常磐炭礦本社で何度も説明を受けた「夢の南国パラダイス」がこんなところにできるのかしら……二人とも、そんな第一印象でした。

 それでも、佐竹さんと私がこのお話をお受けしたのは、やはり中村さんの熱意と土地や炭鉱で働く人たちへの愛情の強さに、心を打たれたからです。「講師をお引き受けします」と、いつ正式にお答えしたかは思い出せませんが、中村さんや常磐炭礦の方々にお会いするうちに「この人たちのためにお役に立てるなら、がんばってみよう」と思いました。

 

■愛を持って、基礎から育てる

 昭和40年(1965)4月1日に常磐音楽舞踊学院が設立されて、初代フラガールとなる18人の1期生の指導が始まりました。

 中村さんは私に「3か月で作ってくれ」、そして「芸だけではなく、人間の基礎を作ってくれ」とおっしゃいました。

 中村さんは、もともと芸事がお好きで、知識も豊富、とてもセンスの良い方でした。新しい施設の目玉にフラを選んだセンスはもちろん、その実現のために「踊りの基礎としてのクラシックバレエ」と「プロの舞台人としてのビジネスマナー」を1期生に身につけさせようとした感覚も確かだったと思います。それに応えるため、当然ながら、私たちの指導内容は踊りだけにとどまりませんでした。

 そして何より、「愛情を持って育ててくれ」と。中村さんは、学院生を本当にかわいがっていましたし、社員全員やその家族までを気遣って声をかける、大きな愛のある方でした。

※常磐ハワイアンセンターのオープンは、昭和41年(1966)1月ですが、PRのためのキャラバンのスタートが3か月後でした。その第1回は、昭和40年(1965)7月25日(日)の勿来海水浴場で、「常磐ハワイアンセンター公演」と横幕が掲げられた仮設舞台の前には約2万人が集まり、大成功でした。

 

■「先駆者になる」という正しい教え

 映画「フラガール」で描かれた通り、当時、いわきの地でフラへ理解のある人はほとんどいなかったですし、ダンサーという職業に対して偏見もありました。

 炭鉱の娘たちを裸にさせて……と、地域からの強い反対もありましたが、今思えば、中村さんが1期生たちに持たせた「先駆者になる」という気持ちが、地域の人たちをひとつにまとめたのだと思います。

 冷やかしや反対運動目的でレッスン場へ来た人たちも、1期生たちが汗をかきながら一生懸命に学んでいる姿を目にするうち、みるみる変わってきました。いつしか、キャラバンから戻ると学院の玄関や廊下には、差し入れがずらっと並ぶようになり、地域ぐるみで私たちを応援してくださるようになりました。

 中村さんの「自分たちが先駆者として会社を盛り立てるんだ」という1期生たちへの教えは、本当に正しかったのだなと思います。東日本大震災の被災から立ち直った、当時も今も変わらないフラガールたちのひたむきさの土台はここにあるのかもしれません。

 

■映画「フラガール」に描かれたもの

 いわきでフラの指導を始めたころ、フラがこれほど地域に受け入れられるとは夢にも思いませんでした。

 それには、映画「フラガール」(シネカノン、2006)の力は大きかったと思います。今では、日本全国はもちろん、台湾などでも映画を観たと声をかけてくださる方がいらっしゃいます。

 実は、最初に映画のお話しがあったときは、中村さんが主人公でした。それが、プロデューサーの石原仁美さんや関係者の方たちの取材が進むうち、私と1期生の小野恵美子さんがメインの話に変わってきて、たいへん驚きました。そして、できた台本を見ると、私は大酒飲みで借金取りに追われて仕方なく東京からやってきたという設定で!?あれはもちろんフィクションですよ!

 主演の松雪泰子さん、蒼井優さんをはじめ、フラガール役の方たちはフラやタヒチアンダンスの経験がなく、私が基礎から指導をしました。当初は心配もしていましたが、さすがは一流のプロの女優さん方。あまり時間がなかったにも関わらず、見事な踊りを完成させて演じてくださいました。

 映画の最後のシーン、蒼井さんが開業日のステージでタヒチアンダンスのソロを披露する場面では、私も撮影を見守っていましたが、まるで「あの日」に戻ったように当時の緊張感がよみがえって、不思議な気持ちがしました。監督さんのOKが出て涙ながらに喜び合ったとき、「この映画はヒットする」と確信しました。

 主人公というかたちではなくても、映画に描かれたことは、中村さんがやられてきたことそのものだと改めて思います。会社のため、地域のため、あぁいうすばらしいお仕事をされる方には、後にも先にも中村さん以外にはお会いしたことがありません。私も、本当に多くを勉強させていただきました。

 中村さんから「早川は、ハワイアンセンターと結婚してくれたんだよな。ありがとう」と言われたことがあります。それは、私にとっては最高の褒め言葉だと思って、心に刻んでいます。

【インタビュー:2018年(平成30年)9月】

 

◆中村社長はこんな方(1) 「共存共栄の精神」

 常磐ハワイアンセンターがオープンした昭和40年代は、日本にもボウリングが普及し始めたころ。
 ハワイでボウリングを楽しんでいた経験から、早川先生は「館内にボウリング場を作られては?」と中村社長にお話しをされたことがあったそうですが、中村社長の答えは「ノー」。
 何もかもを常磐ハワイアンセンターが用意してしまっては地域の繁栄に差し障る、それが中村社長が常に大切にされていた「共存共栄の精神」でした。

 

◆中村社長はこんな方(2) 「サービス精神にあふれる社交家」

 常磐ハワイアンセンターのPRキャラバンの際、ほとんどの会場で中村社長は舞台あいさつをされていました。その内容も、歌舞伎の口上をまねて「炭礦従業員と家族の協力で営業する楽しいハワイアンセンター。隅から隅まで、ずずずーいとご評判を願い上げます」とユーモアたっぷりで、好評だったそうです。

 また、芸事がお好きな中村社長は、ご自身でも、とっておきの芸をお持ちだったとか。それが「くず拾いの踊り」です。

 創立日である4月1日の学院祭などで学院生や社員が要望をすると、常時用意してあった「くずかご」を背負い、眉に海苔を貼り、シャツを裏返しに着て……という凝った出で立ちで披露するその踊りは、たいへん見ごたえのある芸でした。
 お客様へはもちろん、従業員へも自らサービスする姿が、現在も続くスパリゾートハワイアンズのおもてなし精神の土台かもしれません。

 

◆中村社長はこんな方(3) アニメーションでもその魅力は全開!

 マンガ家・羽賀翔一氏の初アニメーション作品『ある男の生き方』では、65歳でハワイアンズを立ち上げ、成功に導いた創業者・中村豊氏のいくつになってもロマンをもって仕事に挑み続けた実話がアニメ化されています。中村社長のことがコンパクトに丸わかりです!

【BOSS × スパリゾートハワイアンズ(Hawaiians)コラボCM|サントリー】

 

【参考文献】

 記事を構成する際に、下記の文献も参考にしました。
 スパリゾートハワイアンズ誕生秘話について、くわしく知りたい方にオススメです!

  • カレイナニ早川『ひまわりのように』(双葉社、2017)
  • 猪狩勝巳『ハワイアンセンター物語』(加納活版所、1980)
  • 清水一利『常磐音楽舞踊学院50周年史 フラガール物語』(講談社、2015)
  • 清水一利『「東北のハワイ」は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡』(集英社、2018)
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